↑待ちわびた事故に楽しそうですね。
↑同じ日、別のオスプレイも不具合で普天間飛行場に不時着。
↓空中給油の様子。
↑写真は昼間だが、事故は夜間演習中だった。
■米軍オスプレイ不時着 空中給油の訓練中に不具合か | NHKニュースより。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161214/k10010806271000.html?utm_int=detail_contents_news-related-auto_001
12月14日 15時30分
13日夜、沖縄本島の東の海上で、アメリカ軍の輸送機オスプレイが不時着した事故で、事故機は上空で別の航空機から燃料の提供を受ける空中給油の訓練をしていた際に不具合が起きて飛行が困難になったことが、アメリカ側の説明でわかり、防衛省が確認を続けています。
13日午後9時半ごろ、沖縄県名護市の東およそ1キロの海上で、アメリカ軍の輸送機オスプレイ1機が不時着し、乗っていたアメリカ兵5人が全員救助され、このうち2人がけがをしました。
事故機は沖縄県宜野湾市にあるアメリカ軍普天間基地の所属で、機体が大きく壊れて胴体や翼などがバラバラになりました。
アメリカ軍の防衛省への説明によりますと、事故機は当時、ほかのオスプレイ1機とヘリコプター1機とともに、KC130空中給油機から上空で給油を受ける訓練をそれぞれ行っていました。
その際、空中給油機の燃料を送るホースが切れ、事故機の側に不具合が起きて飛行が困難になったということです。
パイロットは住宅地上空の飛行を避けるため、名護市辺野古の海岸沿いにあるキャンプシュワブに向かいましたが、たどり着けないと判断し、沖合の浅瀬に不時着したということです。
アメリカ軍は「機体はコントロールできる状態で、パイロットが意図した場所に降りた」としたうえで、「原因が機体にある可能性は極めて低いと見ている」としています。
防衛省は引き続き、アメリカ軍から情報収集して、当時の詳しい状況の確認を進めています。
▲岸田外相「大変遺憾だ」
岸田外務大臣は外務省で記者団に対し、「大変遺憾だ。アメリカ側には原因の究明、情報の提供とあわせて、安全が確認されるまでオスプレイの飛行停止を求めており、このあと、私からもケネディ駐日大使に申し入れを行う予定にしている。米軍機の飛行は安全性が最大限確保されることが当然であり、沖縄県民の皆様にも、情報提供を受け、丁寧に説明させていただかなければならない」と述べました。
▲沖縄 翁長知事「強く県民の気持ち申し上げる」
沖縄県の翁長知事は14日午前、記者団に対し「本当にとんでもない出来事だ。このあと沖縄防衛局長と沖縄担当大使を呼んでいるので、強く県民の気持ちを申し上げたい」と述べ、政府に対し抗議する考えを示しました。
不時着したオスプレイが所属する、アメリカ軍普天間基地がある沖縄県宜野湾市の佐喜真淳市長は「いちばん懸念していたことが起きてしまった。安全が確認できるまでは絶対にオスプレイの飛行は停止していただきたい。こういうことが万が一、普天間基地の周辺で起きたら大惨事になりかねない。アメリカ軍や沖縄防衛局に抗議したい」と述べました。
そのうえで「普天間基地の1日も早い返還と危険性の除去、それに基地負担の軽減を政府としてしっかり取り組んでいただきたい」と述べました。
沖縄県名護市の稲嶺進市長は14日朝、アメリカ軍の輸送機オスプレイが不時着した現場近くの海岸を訪れ、視察しました。
稲嶺市長はNHKの取材に対し、「ずっとオスプレイの配備に反対していたが、心配が現実のものになってしまった。集落の上に落ちても不思議ではない距離で、これからも起こらないとは限らず、安心して生活できない」と述べました。
▲地元の住民は
アメリカ軍の輸送機オスプレイが不時着した現場の浅瀬の近くにある名護市安部地区の住民からは、不安の声が聞かれました。
13日夜、自宅の上をヘリコプターが飛ぶような音を聞いたという女性は「二度と訓練をして欲しくない。こんなことをされたら生活ができなくなる」と話していました。
また、別の男性は「現場は本来だったら定置網を設置しているところで、そこに落ちたらどうなっていたかと思う。なぜ小さな島でこんなことをするのか。新しい基地は作ってはいけないと思う」と話していました。
■米軍オスプレイ 別の1機も飛行中のトラブルで帰還 | NHKニュースより。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161214/k10010806661000.html
12月14日 16時25分
沖縄本島の東の海上でオスプレイが不時着した事故で、13日夜、別のオスプレイ1機も飛行中に機械的なトラブルを起こし、普天間基地に戻っていたことがアメリカ軍への取材でわかりました。
13日午後9時半ごろ、沖縄県名護市の東およそ1キロの海上で、普天間基地に所属するアメリカ軍の輸送機オスプレイ1機が不時着して大破し、乗っていたアメリカ兵5人のうち2人がけがをしました。
さらに、13日夜、別のオスプレイ1機も飛行中に機械的なトラブルを起こし、所属する普天間基地に戻っていたことが、アメリカ軍への取材でわかりました。
NHKが設置したカメラでは、14日午前1時前、普天間基地でオスプレイの機体の周りをアメリカ兵や赤色灯を照らした車両などが取り囲んでいる様子が確認されました。
アメリカ軍はNHKの取材に対し、「問題を解決する措置を取ったあと、普天間基地に安全に着陸した。けが人や機体の損傷はない」としています。
アメリカ軍によりますと、このオスプレイは13日夜、不時着事故のあと、一時現場上空の監視にあたっていたということで、事故とトラブルに関連はないとしています。
■オスプレイ墜落:関係首長、飛行停止を要求「集落に近く一歩間違えば大惨事」
沖縄タイムス+プラス ニュースより。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/75669
2016年12月14日 11:20
オスプレイ墜落事件・事故オスプレイ墜落米軍基地米軍機事故名護市宜野湾市東村大宜味村
稲嶺進名護市長は14日午前、名護市安部の海岸のオスプレイ墜落現場を確認した後、市役所で報道陣の質問に応じ、「恐れていたことが現実のものになった。(墜落現場は)安部の集落に近く、一歩間違えばそれこそ大惨事だ」と憤った。
第一報を13日夜、市職員からの電話で知ったという。
「起こるべくして起こった。常にわれわれはこういう危険にさらされている」と危機感をあらわにした。
墜落現場が辺野古新基地の滑走路が建設された場合の米軍機飛行ルートとなっていることにも言及し、「滑走路ができれば、さらに危険度が増すのは明らか。市民は安心して眠れない、日常の生活もできないという状況に置かれてしまう」と指摘した。
同日中に沖縄防衛局を訪れ、抗議する意向も示した。
東村の伊集盛久村長、大宜味村の宮城功光村長も同日、事故原因が究明されるまでオスプレイの飛行中止を求めた。
普天間飛行場を抱える宜野湾市の佐喜真淳市長は14日午前、記者団の取材に応じ、13日夜のオスプレイ墜落事故について「安全が確認できるまでは絶対にオスプレイの飛行は停止してもらいたい」と強調。
早ければ同日中にも沖縄防衛局など関係先に対し、直接飛行停止を求める考えを示した。
佐喜真市長は事故について「われわれの一番懸念していたことが起こってしまった。非常に残念だ」と改めて遺憾の意を示した。
その上で「万が一、こういう事案が普天間飛行場周辺で起きれば、大惨事となりかねない」として、安全確認までの飛行停止が必要な理由を説明した。
■オスプレイ不時着 首相「重大な事故は大変遺憾」
NHKニュースより。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161214/k10010806221000.html?utm_int=detail_contents_news-related-auto_003
12月14日 9時50分
安倍総理大臣は、アメリカ軍の新型輸送機オスプレイが沖縄県名護市の沖合で不時着したことについて、14日午前、総理大臣官邸で記者団に対し、「重大な事故を起こしたことは大変遺憾だ」と述べたうえで、飛行の安全確保が大前提だという認識を示しました。
防衛省によりますと、アメリカ軍の新型輸送機オスプレイ1機が、13日夜、沖縄県名護市の東の沖合で不時着し、搭乗していた5人のうち2人がけがをしたということで、防衛省で、事故の原因など詳しい状況の確認を進めています。
これについて、安倍総理大臣は、14日午前、総理大臣官邸で記者団に対し、「オスプレイが重大な事故を起こしたことは大変遺憾だ」と述べました。
そのうえで、安倍総理大臣は「米側に対しては、防衛大臣から原因の徹底的な究明、そして、安全の確保について強く要請している。いずれにせよ、オスプレイの飛行の安全確保が大前提だ」と述べました。
★現在、海兵隊用「MVー22」と空軍用「CVー22」の2機種有りますが今回、不時着し大破したのは海兵隊仕様のオスプレイです。
機体が大破したから墜落との報道が有りますが、パイロットが意図して海上に着水を試みた事で不時着となります。
*ハドソン川の奇跡の項を参照。
パイロットは軍用機でも民間機でも安全を考えて操縦するし、最悪の事故は避けたいと考えています。
洋上において、他のオスプレイ1機とヘリコプター1機と共に、KCー130空中給油機から上空で給油を受ける訓練を実施していました。
その際、空中給油機の燃料を送るホースとオスプレイのプロペラが接触してホースが切れ、事故機の側に不具合が起きて飛行が困難になったと報告を受けています。
普天間飛行場にRTB(帰投)出来ないと判断したパイロットは、名護市辺野古の海岸沿いにあるキャンプシュワブに向かいましたが、そこにも辿り着けないと判断し、沖合の浅瀬に不時着したということです。
「墜落」は、機体が正しく制御されないで、意図せず落ちる事。
「不時着」は、機体が正しく制御された状態で、目的地(基地や滑走路)以外の場所へ着陸すること。
戦闘機などは緊急脱出装置でパイロットは、椅子ごと射出されてパラシュートで落下して助かる機会も有ります。
だけど輸送機やヘリコプターなどは脱出装置が無い代わりに、着陸時に意図的に損壊させることで衝突時の衝撃を吸収して乗員を保護する「クラッシャブル構造」があります。
つまり自動車でもバンパーやエンジン部分などを大破させて、運転手や同乗者を生存させる仕組みと同じです。
自衛隊や軍隊の訓練には悲しい事に、事故や殉職は付き物です。
勿論、事故が無いように細心の注意は必要だし、事故を正当化する事は出来ません。
私が現役だった頃にも戦闘機が、バーテイゴ(空間識失調症)に至ったパイロットが海面に激突して「木っ端みじん」になったり、3夜4日の演習中に偵察隊員が運転ミスで大型トラックに正面衝突して殉職したり、訓練中の殉職事故は意外と多い。
私も何度も隊員の棺に対して「着剣しての捧げつつ」や「45度の敬礼」をした事があります。
「殉職者を出した事を、お詫びします。」と、部隊指揮官が報告した時の無念さは今も忘れない。
夜間飛行訓練や夜間演習は、視界も悪く事故の可能性も高い。
しかし祖国防衛や自然災害には、昼夜も祝日も悪天候さえ関係が無い。
ただ他国の軍隊は、パイロットが住宅街のど真ん中で緊急脱出して民家に戦闘機を墜落させても、搭乗者が生存する場合が多い。
在日米軍でも横浜米軍機墜落事件などが有り、「パパ ママ バイバイ」は小説や自主映画などにもなった。
オスプレイ反対派にとっては、待ちに待った「オスプレイの事故」でしたね。
普段から普天間飛行場の飛行を妨害する為に、「レーザー照射」や墜落を祈って「風船を飛ばしたり」して待ちかねていましたね。
事故を嬉しそうに語ったりして、出来れば普天間飛行場の近郊で民間人を巻き込んで欲しかったのでしょうか?。
自衛官や在日米軍人の殉職や負傷が、大好物の民族まで騒ぎ始めましたね。
♦MV22オスプレイの不時着水及び防衛省・自衛隊の対応について(第2報)
http://www.mod.go.jp/j/press/news/2016/12/14b.html
平成28年12月14日
防衛省
※下線部は、前回からの変更箇所
1.事案概要
平成28年12月13日(火)21時30分頃
沖縄県名護市東海岸から約1㎞沖合で米軍機MV-22オスプレイ1機が不時着水。
事故原因は不明。
搭乗員5名は無事(うち2人は怪我)。
上記情報については、引き続き確認中。
2.防衛省・自衛隊の対応
(1)活動部隊
空自 那覇救難隊(那覇)
(2)活動規模
航空機 2機
(3)主な対応状況
【12月13日】
22時28分
▽防衛大臣指示
1 情報収集を徹底し、状況の把握に努めること。
2 人命救助に万全を期すこと
3 地元への説明など、対応を確実にすること。
23時05分
那覇救難隊のU-125×1機が捜索活動のため基地を離陸。
23時17分
那覇救難隊のUH-60×1機が捜索活動のため基地を離陸。
※要救助者は米軍機により収容
【12月14日】
0時頃~1時頃
沖縄防衛局長がコンウェイ在沖米海兵隊政務外交部長に面談し、事故に係る原因究明・情報提供、安全が確認されるまでの飛行停止について申入れ
2時20分~50分
防衛大臣がマルチネス在日米軍司令官へ電話し、事故に係る原因究明・情報提供、安全が確認されるまでの飛行停止について申入れ
♦USエアウェイズ1549便不時着水事故
Wikipediaより。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/US%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%BA1549%E4%BE%BF%E4%B8%8D%E6%99%82%E7%9D%80%E6%B0%B4%E4%BA%8B%E6%95%85
USエアウェイズ1549便不時着水事故(USエアウェイズ1549びんふじちゃくすいじこ)は、2009年1月15日午後3時30分頃(東部標準時(UTC-5))に、ニューヨーク発シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ1549便が、ニューヨーク市マンハッタン区付近のハドソン川に不時着水した航空事故である。
乗員・乗客全員が無事に生還したことから、ニューヨーク州知事のデビッド・パターソンは、この件を「ハドソン川の奇跡」(Miracle on the Hudson) と呼び称賛した。
♦空間識失調 - 航空軍事用語辞典より。
http://mmsdf.sakura.ne.jp/public/glossary/pukiwiki.php?%B6%F5%B4%D6%BC%B1%BC%BA%C4%B4
くうかんしきしっちょう
Vertigo(バーテイゴ)
加減速のGと重力の混同、視覚と体感重力の食い違いなどによって生じる方向感覚の混乱。
地上を見て確認する事ができない雲中・夜間など、あるいは外界が見えない客室内で発生する事が多い。
眩暈などの症状を伴い、乗り物酔い・映像による3D酔いなどとの関連も指摘されている。
例えば、旅客機の乗客は、離陸直後に「まっすぐ上昇している」と思い込む傾向にある。
しかし、窓をよく注視していると「実は空港の周囲を旋回している」という事がままある。
この時、乗客は空間識を失調し、自分がどの方向に動いているか認知できなくなっているのである。
パイロットがこの状態に陥ると航空機の位置や姿勢を正しく認識できなくなり、大変危険である。
実際、航空機の操縦訓練では「自分の頭の中の認識よりも計器を信用しろ」と教えられる。
それでも、熟練パイロットでさえ空間識失調に陥ったまま、間違った認識で操縦を続けてしまう事はある。
そのため、F-2のようにボタン一つで正常な姿勢に戻す機能を備えた航空機もある。
♦横浜米軍機墜落事件 - Wikipediaより。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E6%A9%9F%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
横浜米軍機墜落事件(よこはまべいぐんきついらくじけん)は、1977年9月27日に発生、一般市民3名が死亡し6名が負傷した航空事故である。
↑「愛の母子像」港の見える丘公園
親子3人の死を悼み建立された。
♦パパママバイバイより。
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~t.a.arai/takashi/atugikiti/papamamabyebye.htm
*原文のまま。
あの忌まわしい事故から33年たった…
当時の私は鉄小学校に在学中で運動会の最中に火を噴く機体を見上げていた者の中の一人です。
まだ低学年だった事もありお子さんの名前や怪我をした方の人数など記憶が曖昧だったのですが、林さん母子の他にもあんなに大勢の方が被害を受けていた事、こちらを拝見して初めて知りました。
お子さん達の最期の言葉『パパ・ママ、バイバイ』や『ポッポッポ』は幼かったながらも未だ脳裏に焼きついています。
それに 私の父があのお母さんと同時期・同じ病院に入院していた為、お母さんが薬浴治療で本当に苦しまれていた様子も聞いていました。
あの体験は私にとってもある種トラウマになっています。
黒煙と炎を噴出しながら自分達の頭上を超低空で飛んで行った戦闘機、パラシュートで脱出した兵士がフワフワと田んぼに落ちてゆく光景、そして轟音とともに山の向こうから立ち昇った大きくて真っ黒なキノコ雲…。あの光景はきっと一生忘れる事が出来ないでしょう。」
「1977年横浜市緑区の米軍機墜落」を小学生当時に目撃された方より
▽パパママ・バイバイ
横浜市緑区(現在の青葉区)の米軍機墜落事件<1977年>
1,ジェット機が落ちてくるぞ
この事件が発生したのは、1977年(昭和52年)9月27日の事ですから、今からちょうど20年前の事になります。
横浜の中心部から北西に15キロメートル程離れた荏田(えだ)町。
国道246号線と東名高速道路が交差し、丘や山が崩され大型の宅地造成が進み、高層のマンションが立ち並びつつある地域でした。
午後1時17分頃、米海軍厚木基地を離陸した米海兵隊所属RF-4Bファントムジェット機が相模湾沖を航行中の空母「ミッドウェー」に向かう途中、エンジン火災を起こし、荏田町の宅地造成地に墜落したのです。
墜落地点から2kmほど手前の横浜市立鉄(くろがね)小学校では運動会が行われていましたが、校舎の屋上をかすめて火炎と黒煙を上げながら墜落していくジェット機を生徒も父母も目撃し運動会が中断してしまいました。
そして、轟音とともに黒煙が山の向こうに立ち上がったのです。
2,助けを求める人たち
墜落地点一帯は全長19メートル、重量26トンの機体と大量のジェット燃料が飛散し、付近の公園と民家を飲み込んで一瞬にして火の海になってしまいました。
炎上する家の中から、火がついた衣服をまとって大やけどを負って助けを求める女の人。
血ダルマの幼子をしっかりと抱きかかえ飛び出す母親の姿がありました。
その時の状況を被災者の救出活動に参加した人は「「たすけて-」と悲鳴をあげながら女の人がかけてくるんです。
顔は火ぶくれでふだんの2倍ぐらいにはれあがり、髪は焼けちぢれ上着はボロボロ、わずかに下着がついている程度でした」と語っています。
3,自衛隊の救難ヘリコプターは
事件発生と同時に米軍から連絡を受けた自衛隊はすぐに救難ヘリコプターを厚木基地から緊急発進させ、事件発生の10分後には現地の上空に到着しました。
しかし、救難ヘリは大やけどを負つて救助を求めている被災者を助ける事なく、墜落前にパラシュートで脱出し、はとんど無傷で地上に降りた2人の米軍パイロットを乗せて厚木基地に帰ってしまい、再び飛んでくることはしませんでした。
4,「パパ ママ バイバイ」・裕一郎君と康弘ちゃんの死
火炎が広がり、黒煙がきのこ雲のように立ち上るなか、付近で仕事をしていた宅地造成工事現場の人達による必死の被災者救出活動が行われ、民間人の通報で救急車が到着2人の幼児を含む9人の重軽傷者が病院に運ばれました。
青葉台病院に収容された林裕一郎君(昭和49年8月24日生まれ・当時3歳)と、弟の康弘ちやん(昭和51年3月28日生まれ・当時1歳)は、全身大やけどを負い包帯でぐるぐる巻きにされ「水をちょうだい、ジュースジュース‥‥」と叫びましたが、容体が悪化するので水もジュースも飲ませてもらえませんでした。
そして、この日の深夜‥‥‥。
青葉台病院には2人の幼さな児と椎葉悦子さん、林早苗さんらの大やけどを負った被災者が収容され、夜になってもあわただしい時間が過ぎていきました。
午後10時過ぎに、裕一郎君は「痛い いたいよう‥‥」「水、みずをちょぅだい‥」の叫び声の合い間に黒いどろどろした物を吐くようになり、急速に弱々しくなっていきました。
「おばあちゃん、パパ ママ バイバイ‥」の声を残して裕一郎君が息を引き取ったのは、午前零時50分のことでした。
弟の康弘ちゃんも嘔吐が始まり、父親の一久さんらの必死の励ましの中「ポッポッポ」と鳩ポッポの歌をかすかにうたいながら翌日、未明の4時30分幼い生命を閉じたのです。
5,二人の幼児の母親は
裕一郎君と康弘ちゃんの母親の和枝さん(当時26歳)も、全身8割にも及ぶやけどで昭和大学藤が丘病院に運ばれました。
一方1ヶ月以上も絶対安静の危篤状態が続きました。
ようやく死の淵から脱した和枝さんを待っていたのは硝酸銀の薬浴でした。
全身やけどで皮膚が出来てこないので、化膿を防ぐための治療です。和枝さんの全身に激痛がはしり「殺して-」という悲鳴が病院中に響き渡りました。
そしてさらに、その後も皮膚移植手術などの手術が繰り返されました。
「裕くんと康くんは他の病院で頑張って治療を受けている」という言葉を信じ、それを励ましとして厳しい治療を乗り越え少しずつ癒えてきた和枝さん。
その和枝さんに愛児の死を知らされたのは、事件から1年4カ月後のことでした。
その時、和枝さんは変わり果てた2人の愛児の遺骨に対面し、遺骨を抱き締めたまま涙がなくなるまで泣き続けました。
そして、泣いてもどうしょうもない残酷な事実を前にして、「子どもの分まで生きる‥」と、固い決意をしたのでした。
その後、きびしい治療にも必死で耐え抜いてとうとう、松葉つえを使って歩行することも出来るようになったのです。
和枝さんは皮膚の深くにまで及んだ火傷の治療のため、不自然な体位を余儀なくされ、ジェット燃料の火炎を吸い込んだことなどもあって、呼吸器障害などを併発し病院への入退院が繰り返されました。
しかし、一進一退の状態から徐々に体力も回復していきました。
そして、和枝さんは事件の経緯を振り返るにつけ、国の不誠実な態度に怒りを覚え、抗議の声も強くなっていきました。
国は、和枝さんからの度重なる治療についての訴えや抗議の電話をまともに受けないばかりか、和枝さんを精神病者扱いにし、家族にも適切な説明もしないまま、精神病患者だけを収容する国立武蔵療養所に転院を強要したのです。
6,和枝さんの死
国立武蔵療養所に転院して間もなく、1982年(昭和57年)1月24日の夜、和枝さんは窓には鉄格子がはめられた病院の一室で呼吸困難に陥り、意識不明のまま翌々日の26日午前1時45分窒息死したのです。
無念の死でした。
そして、それは、ジェット機墜落事件から4年4カ月目の事でした。
「わたしたちはわすれない米軍機墜落事件」より転載
<1997年>横浜・緑区(現・青葉区)米軍ジェット機墜落事故20周年行事実行委員会